シネモンドで裸のムラを見てきました。
先日金沢のシネモンドで裸のムラと言う映画を見てきました。この映画石川県の政治風土とそこに暮らす人たちのドキュメンタリー映画です。出てくる人は谷本前石川県知事、石川県選出の森元総理、現石川県知事の馳知事、そしてこの石川県に暮らす人々としてイスラム教徒の松井、ヒクマさん一家。主に車で生活しているバンライファ―の中川さん一家です。そして監督は富山市議会の汚職を描いたドキュメンタリー映画「はりぼて」を作った石川テレビの五百旗頭幸雄記者です。見た感想は一言でまとめるとこの石川県で自分の意志や考えで自由に生活するにはそれ相応の能力、スキル、覚悟が必要なのだと感じました。そして映画を見ている最中色々な言葉が思い浮かんだのでそれを今から一つずつ語ってみようと思います。
郷
まず思い浮かんだ言葉は郷です。ことわざに「郷に入れば郷に従え」と言うのがありますが、辞書で郷を調べてみると
①さと。むらざと。いなか。「近郷」「在郷」 ②ふるさと。生まれたところ。「郷里」「故郷」 ③ところ。場所。「異郷」「仙郷」「理想郷」 ④昔の行政区画の一つ。いくつかの村を合わせた地域。とあります。そしてもう一つ「郷に入れば郷に従え」ですが
その土地(又は社会集団一般)に入ったら、自分の価値観と異なっていても、その土地(集団)の慣習や風俗にあった行動をとるべきである。
この意味からこの映画でも大きなキーワードになっている同調圧力を思い浮かべました。石川県はこのことわざの意味が日本でも屈指の強さを持っていると思います。そして個人の自由よりもその土地、集団の慣習や風俗に合わせることに重きを置いているのです。その考え方そのものが同調圧力であり、この考え方で地元企業、組織、そして政治の場に色濃く反映されており、県民性と言うのは極めて封建的、そして映画のテーマでもあるパターナリズムの意味合いが強いのです。その結果政治的に生み出された結果として保守王国、中西県政の31年、谷本県政の28年、森政権の誕生なのだろうと思います。
我
もう一つの言葉は我です。この映画で言えば県内で様々な偏見にさらされながらも俵屋の飴を作りながらでもイスラム教徒の義務である礼拝を欠かさない松井さんや地元の組織に属せず自分で仕事をしている中川さんのイメージです。特に松井さんは他から何を言われてもイスラム教徒として自分の我を通していると思いました。広い意味で言えば中川さんも仕事で自分の我を通しているのだろうと思いま
郷に従わず我を通し、働き、生活するにはそれ相応の覚悟や能力、スキルがいる。
この二つの言葉郷と我、そしてここにもうひとつ忖度を付け加えれば石川県において郷に従うということは既存の有力者、権力者に忖度することだろうと思うのです。この忖度は石川県の地元企業、組織に身を置いて働き、生活するにはある程度は受け入れなければないと感じました。この映画のタイトル「裸のムラ」ですが、この県内の企業で働き、生活する人達にとってはたとえ既得権益によって自分より会社や組織で上の立場にいようがいまいが忖度を我慢して受け入れている側面があるのではないかと思うのです。本音では王様は裸だと言いたいのだが建前上は服を着ていると言わざるを得ない。その葛藤を抱えて働いている人間がかなりの数石川県にいるのではないかと思いました。現実は王様は服を着ていようがいまいが王様は王様で。その権威に疑問を持っても石川県民はその疑問から何かを変える、変えた物を見た経験が乏しく、長い権力構造を諦観しているかそれでいいと思ってしまうのだろうと思うのです。そしてこの県民性、同調圧力にどうしても納得、理解出来ない。それを生活、生き方に反映させたいと思いが強い人ほど会社や組織を離れ、自分の能力、スキル、学歴等を仕事の糧として生活したいと願い、起業やフリーランスに挑戦しているのではないかと感じました。ただ自分がこの映画を見ている中でひしひしと痛感したのはこの働き方、生き方でこの石川県で働き、生活していくのはかなりの高い能力やスキル、学歴が必要だなと感じたのも事実です。映画の中でバンライファ―の中川さんの奥さんが「生計を立てるまで大変だった」という言葉が胸に響きました。
理想は自由に本音で働き生活したい。しかし現実は上の人間に対して忖度せざる得ない。
話の本筋からはやや離れますが個人的に十年ほど前からSNSで起業したり、フリーランスで活動している人に交流を持つことが増えています。その人たちに起業やフリーランスに至った経緯を聞くと石川県内の地元企業で働いてみたが、世襲、同族の会社だらけでそんな会社しかなく上の人間に尊敬が感じられない、いい上司を求めて転職してもそんな会社ばかりだから自分で起業した、会社を興した、フリーランスになったという考えも聞いたことがありました。この言葉を聞いてこれが石川県の現実なんだと感じたのも事実です。ただし起業してもうまくいかずこのような体質の地元企業で我慢、妥協して働いている人間も相当数いるような気がしました。
もう少し忖度抜きで自由に地域や政治を語る自由が欲しい。
このような妥協して県内の会社、組織で働いている人たちは既存の権力構造に忖度を受け入れざる得ないので地元の政治やまちづくりに対して自由な意見や考えが忖度の前に尊重されずぞんざいな扱いを受けているような気がします。そのような体質だから反省で二人しか知事が出なかったりするのだろうと感じました。ただ石川県民の場合、このような県民性からやや客観的に自分の県なり、地域を見る目が足りないのも現実として感じています。もう少し自由に地域や地域社会を語る自由があってもいいと感じました。ただ映画館を出て、自分の地元に置ける社会の居場所にその現実に目を覚まされたのも事実です。
