裸のムラ

シネモンドで裸のムラを見てきました。

先日金沢のシネモンドで裸のムラと言う映画を見てきました。この映画石川県の政治風土とそこに暮らす人たちのドキュメンタリー映画です。出てくる人は谷本前石川県知事、石川県選出の森元総理、現石川県知事の馳知事、そしてこの石川県に暮らす人々としてイスラム教徒の松井、ヒクマさん一家。主に車で生活しているバンライファ―の中川さん一家です。そして監督は富山市議会の汚職を描いたドキュメンタリー映画「はりぼて」を作った石川テレビの五百旗頭幸雄記者です。見た感想は一言でまとめるとこの石川県で自分の意志や考えで自由に生活するにはそれ相応の能力、スキル、覚悟が必要なのだと感じました。そして映画を見ている最中色々な言葉が思い浮かんだのでそれを今から一つずつ語ってみようと思います。

まず思い浮かんだ言葉は郷です。ことわざに「郷に入れば郷に従え」と言うのがありますが、辞書で郷を調べてみると

①さと。むらざと。いなか。「近郷」「在郷」 ②ふるさと。生まれたところ。「郷里」「故郷」 ③ところ。場所。「異郷」「仙郷」「理想郷」 ④昔の行政区画の一つ。いくつかの村を合わせた地域。とあります。そしてもう一つ「郷に入れば郷に従え」ですが

その土地(又は社会集団一般)に入ったら、自分の価値観と異なっていても、その土地(集団)の慣習や風俗にあった行動をとるべきである。

この意味からこの映画でも大きなキーワードになっている同調圧力を思い浮かべました。石川県はこのことわざの意味が日本でも屈指の強さを持っていると思います。そして個人の自由よりもその土地、集団の慣習や風俗に合わせることに重きを置いているのです。その考え方そのものが同調圧力であり、この考え方で地元企業、組織、そして政治の場に色濃く反映されており、県民性と言うのは極めて封建的、そして映画のテーマでもあるパターナリズムの意味合いが強いのです。その結果政治的に生み出された結果として保守王国、中西県政の31年、谷本県政の28年、森政権の誕生なのだろうと思います。

もう一つの言葉は我です。この映画で言えば県内で様々な偏見にさらされながらも俵屋の飴を作りながらでもイスラム教徒の義務である礼拝を欠かさない松井さんや地元の組織に属せず自分で仕事をしている中川さんのイメージです。特に松井さんは他から何を言われてもイスラム教徒として自分の我を通していると思いました。広い意味で言えば中川さんも仕事で自分の我を通しているのだろうと思いま

郷に従わず我を通し、働き、生活するにはそれ相応の覚悟や能力、スキルがいる。

この二つの言葉郷と我、そしてここにもうひとつ忖度を付け加えれば石川県において郷に従うということは既存の有力者、権力者に忖度することだろうと思うのです。この忖度は石川県の地元企業、組織に身を置いて働き、生活するにはある程度は受け入れなければないと感じました。この映画のタイトル「裸のムラ」ですが、この県内の企業で働き、生活する人達にとってはたとえ既得権益によって自分より会社や組織で上の立場にいようがいまいが忖度を我慢して受け入れている側面があるのではないかと思うのです。本音では王様は裸だと言いたいのだが建前上は服を着ていると言わざるを得ない。その葛藤を抱えて働いている人間がかなりの数石川県にいるのではないかと思いました。現実は王様は服を着ていようがいまいが王様は王様で。その権威に疑問を持っても石川県民はその疑問から何かを変える、変えた物を見た経験が乏しく、長い権力構造を諦観しているかそれでいいと思ってしまうのだろうと思うのです。そしてこの県民性、同調圧力にどうしても納得、理解出来ない。それを生活、生き方に反映させたいと思いが強い人ほど会社や組織を離れ、自分の能力、スキル、学歴等を仕事の糧として生活したいと願い、起業やフリーランスに挑戦しているのではないかと感じました。ただ自分がこの映画を見ている中でひしひしと痛感したのはこの働き方、生き方でこの石川県で働き、生活していくのはかなりの高い能力やスキル、学歴が必要だなと感じたのも事実です。映画の中でバンライファ―の中川さんの奥さんが「生計を立てるまで大変だった」という言葉が胸に響きました。

理想は自由に本音で働き生活したい。しかし現実は上の人間に対して忖度せざる得ない。

話の本筋からはやや離れますが個人的に十年ほど前からSNSで起業したり、フリーランスで活動している人に交流を持つことが増えています。その人たちに起業やフリーランスに至った経緯を聞くと石川県内の地元企業で働いてみたが、世襲、同族の会社だらけでそんな会社しかなく上の人間に尊敬が感じられない、いい上司を求めて転職してもそんな会社ばかりだから自分で起業した、会社を興した、フリーランスになったという考えも聞いたことがありました。この言葉を聞いてこれが石川県の現実なんだと感じたのも事実です。ただし起業してもうまくいかずこのような体質の地元企業で我慢、妥協して働いている人間も相当数いるような気がしました。

もう少し忖度抜きで自由に地域や政治を語る自由が欲しい。

このような妥協して県内の会社、組織で働いている人たちは既存の権力構造に忖度を受け入れざる得ないので地元の政治やまちづくりに対して自由な意見や考えが忖度の前に尊重されずぞんざいな扱いを受けているような気がします。そのような体質だから反省で二人しか知事が出なかったりするのだろうと感じました。ただ石川県民の場合、このような県民性からやや客観的に自分の県なり、地域を見る目が足りないのも現実として感じています。もう少し自由に地域や地域社会を語る自由があってもいいと感じました。ただ映画館を出て、自分の地元に置ける社会の居場所にその現実に目を覚まされたのも事実です。

何故投票率を上げるのか?

暑い日がつづく石川県ですが、参議院選挙の投票日まであと一週間を切りました。その中野々市のお店で投票に行った写真を見せればドリンクが一杯無料になるということで行ってきました。自分は昨日あたり期日前投票を済ませました。

 自分も何回か選挙の演説を聞きましたが、与党、野党問わず今回の選挙で訴えているのは投票率のアップです。特に石川県は知事選挙、金沢市長選挙、参議院補欠選挙と立て続けに続いたため与党、野党とも選挙疲れが見えるようです。

この石川県、保守王国と言うことで投票日の20時に結果が出そうですが、今回の選挙は珍しく六人も候補者が立候補しました。この状況は石川県だけではなくて日本全体で自民や公明、立憲、共産と言った既存の政党の枠にとらわれない形の政党が必要だと言う声の現れじゃないかと感じています。

石川県だけ見ると党の幹部が加賀市に在住している参政党が他の野党の選挙活動よりもかなり勢いを感じています。この政党、与党にも野党にも満足していない無党派の取り込みにかなり食い込んでおり、今回の参議院選挙で全国で一議席くらいは獲得できるのではないかと思っています。

もう一つ何かとお騒がせなNHK党ですが、既存のメディアの在り方とそれに乗りかかる利権の構造には深くメスを入れられると言う点ではそれなりの評価があるのではないかと思います。例えば地上波のテレビはキー局とネット局の関係性などはもうyoutubeでいくらでも壊せますし、現状地上波を見ている人よりもネット関係の動画を見ている人の方が日本でも多いのではないでしょうか?ですからNHK党がNHKの受信料の在り方を批判するのは当面の活動方針であって本当は時代にあったメディアの在り方を作ろうとする動きかもしれません。 石川県も既存の新聞や、テレビ局の情報よりも県民はネットを操って自分に有益な情報を取捨選択して選ぶ時代に入っていると感じています。そこから新しい考え方や多様性が生まれるのかもしれませんね。

さて投票率を与党も野党も上げようと石川県でも躍起になっていますが、与党側すれば投票を呼び掛けることで元々あった組織票の引き締め、そして当選した時の当選の価値を上げる為、野党側からすれば投票を多くの人に呼び掛ける事で選挙に関心のなかった無党派層の取り込みによりより多くの議席の獲得に期待を持っているのだろうと思います。個人的には石川県にも多種多様な考え方が政治にも反映されてもいいのではないかと思っており違う考え方でも寛容な政治であってほしいものです。


老害がなくならない理由

連日、連日政治のニュースを騒がしている菅総理の長男の問題。今日は山田真貴子内閣広報官が辞職しました。この問題。山田広報官プラス総務省の役人も問題ですがやはり張本人は菅総理の長男だと思います。

このニュースを思い出した言葉があります。それは「老害」という言葉です。何故皆さんは70歳や80歳を超えた政治家がこれほどイニシアティブを取れるのか考えたことがありますか?因みに中央の政界と石川県の政界の年齢を見てみます。

菅総理 72歳

二階幹事長 82歳

森元総理 83歳

谷本石川県知事 75歳

まあパッと上げてみればこんな感じです。麻生さんや石川県議会の重鎮も二階幹事長や森元総理と同年代ですね。何故この年代がこれほど力を持つのかというと一言で言えば若い年代に封建的な考えの元担ぎ上げる人間、イエスマンがいるからなのです。具体的にはこの若い年代の中心にいるのはこの年代の子供や孫たちなのです。

高度経済成長期この年代は経済が右肩上がりで石川県、全国問わず、社会的なインフラを整備すればそれなりに経済が周り、潤った時代を経験しています。その時に財を成し、成功した人がこの年代に多いような気がします。その人たちが政治や地域経済のイニシアティブを長年握り、石川県はじめ全国はこれまで突き進んできました。

その年代の子の年代が今三十台や四十代の働き盛りの年齢を迎えています。石川県の中小企業で事業の継承が行わるのも主にこの年代です。高度経済成長、バブルで財を成し、起業して軌道に乗り、会社が大きくなって子や孫に引き継ぐ。70代や80代の政治家が地方、全国問わず幅を利かすのは、その子供の年代の若手が血縁のお陰で今の経済的に優位な社会的地位をその地域で築いているからなのです。七十や八十代の地元の県議の選挙で若い人間が運動員として積極的に動いているのを見ますが、大抵の場合、その運動員の親もその年代でその候補者の支持者であり、その子たちはその親の事業を引き継いだ人間たちがほとんどです。それプラスその引き継いだ人間に雇われている会社の人間でウグイス嬢なり、運動員なりを回して選挙活動を行うのです。

最初の菅総理の長男の話に戻せば、何もしなくてもそのまま親の年代からお金なり、権力をその世襲なりで継承できるのです。その為自分で築き上げなくても最初から地域で社会的な地位を確立しているのです。長男はおそらく父親の忖度で今の会社における地位を確立したと考えています。そうでなければあのような風貌であの接待をすることはなかったでしょう。

世間一般で老害だ老害だと騒いでもまだ高齢者の年代が大きな力を握っているのはその高齢者を担ぎ上げる人間がその高齢者と子や孫といった血縁関係で結ばれており、批判することがしにくい地域社会になっていることです。地方の場合、多くの中小企業が世襲によって経営者が誕生し、その経営者が親の築いた地盤、地位をそのまま継承して地域経済のイニシアティブ、雇用を握っている場合があります。その為いつまでもその親の年代の七十代や八十代の政治家を担ぎ上げるのです。自分たちの地位は親のお陰の為批判が出ないプラス批判させないように地域の若い人間の雇用を権利を使ってその批判を封じ込めるのです。そして若くて優秀な人間はそのような世襲によって生まれた雇用の場が自分の出身地であれ嫌気がさし、地元を出ていくのです。老害と言われる問題は担ぎ上げる人間がその年代から何か継承しよう、もらおうと媚びを売ることを見直さない限り、なくなりません。ただ世襲はそれすらも全く出来ないのです。

石川県のコロナの状況とGOTOトラベル

GOTOトラベルで連日多くの方が金沢はじめ石川県へ来られています。これ幸いに27日県内の感染者数は抑えられているようです。まあ谷本知事が調子に乗ってまた軽口を叩かないか心配ですが・・w今後感染者数がどのようになるかわかりませんがとりあえずは何とかキャンペーンが始まってから感染者数は抑えらえているような気がします。これからは石川県は感染者数を抑えつつ観光を動かすモデルを全国に先駆けて構築するくらいの意識を持っていかないとこれから石川県の観光に活路を見出すことは出来ないと感じています。

石川県や金沢市のGOTOトラベルに対する対応は国の指示待ちのようで主体性がないような批判が出ていますが、何ともこれは今までの県なり金沢市の体質なり、国と県と金沢市の力関係もでしょうし、コロナと経済両立で自治体独自で対応できるだけのシステムも財政規模も元々ないからではないかと思っています。東京都知事や大阪府知事、北海道知事が独自の意見を出して逞しく見えてしますものですが、東京や大阪などの大都市と石川県の財政規模を比べるとそれは桁が一つ違うほどの差があります。しかも石川県の財政の半分は国からの補助金や県債などので構成させているので何か思い切った政策を打ち出そうと思っても常にお金と相談が必要です。金沢市に至っては地元産業の中核がずっと観光、サービス業だった為その体制をいきなり変えることは実質不可能であり、しかも財政的に補助も限界があります。自分も県なり、市がいつもいつも国が国がと言っていて何も考えていないような印象をを持ちましたが、考えてみると独自の政策なりを打ち出そうと思ってもそのシステムもお金もないのが現状です。県や市は国の指示待ちばかりではなくコロナに対して独自に県民、市民を引っ張っていくような政策を打ち出す知恵を絞ってほしいと思っているのですが、現実はかなり厳しい状況です。


金沢市は何十年にも渡ってまちづくりなりの基盤を観光中心に考えてきましたが、ここはコロナと観光の両立を県民、市民で一生懸命に作り上げていくしかこの産業に未来や活路は見出すことは出来ないのと同時にこの産業以外で生活する金沢市民の観光に対する理解も広がらないと思います。今石川県、金沢市に求められるのはコロナと経済の両立に対する県民、市民の理解で県民一丸となってのコンセンサスの形成だと思うのです。

石川に言葉に力のある指導者がいるのか?

ブログのネタ探しに石川県の歴史をいろいろと調べているうちに一向一揆のよって百年くらいの浄土真宗の門徒によって出来上がった石川の歴史に興味が出てきました。特に蓮如に興味があり、これからいろいろ調べてみようと思います。実際実家の近くのお寺はほとんどが浄土真宗であり、浄土真宗を開いた親鸞、それを北陸に広めた蓮如を奉っています。

地元の人間が宗教がバックあるとはいえ団結して自分たちの住む地域を守った100年くらいの歴史は貴重と言えると思います。それ以外は富樫氏にしろ織田信長にしろ、前田家にしろ地元からの自治ではなく外部からの支配によってこの石川県は納められてきました。武士が武力によって土地を納めたのに対し、蓮如は言葉によってこの石川の団結を進め、百姓の持ちたる国を作りました。そのリーダシップというか門徒を動かした言葉の力は今にも通じるものがあるのではないかと思います。

時は流れてこのコロナ禍の現代に政治家なりリーダーにこのコロナ禍の石川県で蓮如のような言葉によって県民の団結を促し、このコロナ禍の困難を乗り越えるだけの言葉を出せる指導者がいるのか疑問です。蓮如が宗教というものを使ったとはいえ言葉によって住民たちの心を掴み自分たちの国を作ったエネルギーは時代は変わったとはいえ現代に通じるものがあるのではないかと思います。蓮如が活躍した時代も飢餓が疫病が流行り住民が救いを求めていましたがそれは今のコロナ禍の石川と被るような気がしますし、お世辞にいっても今の県知事にその力はなさそうですwそれだけに言葉に力のあるリーダーがこのコロナ禍の石川にいればと願うばかりです。

保守的な石川県の歴史

先日こちらの本を読みました。

この地域批評シリーズは地域を客観的に見るシリーズらしいですが、石川県もかなり客観的に書かれているイメージです。この手の書き方で石川県を書いた本ってちょっと珍しいかもしれません。と言うのも地元新聞社の出す本はどうしても主観的な見方になりがちで自分の住んでいる県を客観的に見ることが欠けてしまうような感覚があります。この本を読もうと思ったのは石川県民は何故保守的な考え方になった歴史的な背景は何かを考える資料にしようと思ったからなんですね。個人的に石川県民が保守的になった要因は加賀前田家は外様大名として最大の規模を保つため徳川幕府の顔色ばかり伺っていたこと。明治維新は幕府側なのか新政府側なのか分からない日和見主義のような対応をとってしまい明治政府から冷遇されてしまったこと。戦災に遭わなかったことなどがあると思います。まあ前田家そのものが秀吉、家康とうまい具合に仲をとりもって大領を得たからなんですね。五代藩主の前田綱紀は江戸幕府に警戒されない為に文化や芸術に多額のお金を使い藩の財政が窮乏してしまったようです。それでも百万石のプライドからかお金を節約することが出来ないまま幕末に突入してしまい石川県はかなり辛い目にあったようですね。この前田家の状況常に国の政策ばかり気にする石川県に似ているような気もしますし、ずっと官僚を県知事に据える行政の体質に通じるものがあるのかもしれません。常に上の立場に媚びて財を成すような封建的な体質は江戸時代からなのかもしれません。コロナ禍の中、これからもこの体質で石川県が豊かになるのかならないかはいささか疑問ですが・・

富山県知事、七尾市長選挙で新人が当選石川県知事選挙はどうなる?

昨日投開票が行われた富山県知事、七尾市長選挙でいずれも新人が現職を破って初当選を果たしました。結果を振り返ってみましょう。

富山県知事選挙 投票率 60.67 %

新田 はちろう  285,118票

石井 たかかず  222,417票

かわぶち 映子   25,085票

こちらの選挙個人的には八時には当確が出ないだろうと思っていましたが、新田候補の当確は八時のゼロ打ちでしたね。もっと激戦になるかと思いましたが、開票してみれば新人の新田候補が六万二千票余りの大差をつけて完勝でした。五選を狙った現職の石井候補にしてみればこれだけ票差があれば完敗と言っていいと思います。因みに富山県で現職が選挙で敗れるのは戦後初だそうです。今回の選挙当選した新田候補は日本海ガスの社長からの政界転身でしたが、富山県内の一部の自民党県議、姉である高橋はるみ参議院議員、元北海道知事、そして森元総理のバックアップの元選挙活動を展開して見事初当選を果たしました。今回自民党富山県連は現職の石井候補を公に支持していたため今回の現職落選によって県連の責任問題に発展するかもしれません。また当選した新田新知事はこれからまだ現職支持だった県議が多数いる議会で議会運営に苦労が予想されると思います。

七尾市長選挙     投票率       63、34%

茶谷 よしたか  11574票

ふしま 豊和   10762票

森山 としお    5301票

こちらご当地七尾ですが、こちらは票差が八百票余りしかなく激戦でした。三週間前に行われた羽咋市長選挙は百七十七票差でしたが。羽咋、七尾とも今月市長選挙でしたが激戦でした。七尾はパトリアが経営破綻して以降市政に対して批判が高まっており、とりあえず大手ディスカウントストアのドン・キホーテが進出で決着を図ったつもりでしたが、結局市民は現市政にノーを突き付ける結果となりました。まあ市民の意見とすればパトリアの経営破綻は現職の不嶋市長はパトリアの経営状態が危機に陥っているのに破綻するまで何の処置もしなかったことへの批判じゃないかと思います。

この二つの選挙に共通するのは保守勢力の分裂です。富山は一部が自民県議が県連の現職への支持を反故にしましたし、七尾は一人の自民の有力県議が非自民の代議士、県議と組んで今回の選挙に臨みました。この流れからすると現職でも知事でも四期、市長でも二期しても結果を見る目が厳しくなっているんじゃないかと感じます。富山は現職の任期中に世帯収入や総人口が減少してしまい、若い世代の流失が止まらないと新人の新田候補は訴えていましたし、七尾はパトリアの問題で批判が高まっていましたし、政治がもたらした結果に市民がシビアになったのじゃないかと感じました。

で・・一年半後に迫った石川県知事選挙です。現職の谷本知事は現在七期目でもし次の選挙に挑戦するのなら日本一の在任期間の記録を持つ故中西陽一前知事に並ぶことになります。今年に入りこのコロナ禍における知事の発言に批判が出ました。この批判の原因にあるのは今まで県の政策は観光中心で道路、箱ものなりを作ってもそれなりに経済効果が出ていたのです。それがこのコロナ禍でそのシステムが崩れてしまった為谷本知事もこのコロナ禍の変化に対応出来ていないように感じます。個人的にはこのコロナ禍で市民なり、有権者なり今までの状況から何かを変えなければという意識のレベルが上がったことを感じます。

選挙で激戦が続く能登

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昨日行われた羽咋市長選挙は現職の不出馬によって新人同士の争いになり、自民党が支持した新人が現職が支持する非自民の候補を破って初当選しました。この羽咋市自民党の稲村県議に連なるグループと非自民の本吉県議に連なるグループが市長選挙の度に激しくぶつかってきました。今回の選挙も自民党が推薦した候補がわずか177票で勝ち、激戦でした。

 ここ数年能登では市長選挙や県議選で激戦が続いています。自分が印象に残っているのは一昨年の輪島市長選挙と去年の石川県議選鹿島郡選挙区です。

2018年輪島市長選挙

梶 文秋(現職)8,389票

林平 成人 (新人)  8,322票

2019年石川県議会議員選挙 鹿島郡選挙区

岡野定 隆志(新人)  5,180票

山田 省悟(現職)  5,154票

輪島市長選挙の票差は67票、県議選に至っては26票しか差がありませんでした。

背景にあるのは輪島の場合は産廃処分場で市が二分するほど揉めた事です。鹿島郡の場合は当選した新人が現職の非自民の国会議員の兄にあたることで現職の県議にひょっとしたら有権者がマンネリと言うか飽きが出ていたのかもしれません。

能登という地域は昔から保守地盤がやはり強く益谷秀次、坂本三十次、瓦力、稲村左近四郎と言った政治家を輩出しました。しかし近年は保守一辺倒だった政治体質も変わりつつあるんじゃないかと感じています。今回の羽咋市長選挙は久しぶりに自民党が市長の座を奪い返しましたが、次回はどうなるかわかりません。今月は七尾でも市長選挙が控えています。七尾市の場合市が作ったと言っていいパトリアが経営破綻してその責任を現職に問う意味を持つ選挙とも言えるかもしれません。能登の選挙の激戦を見ると能登の有権者は自民でも非自民でもどちらを支持していいのか迷っている感じを受けます。個人的に思うのはもう能登はインフラは作り尽くした感を受けます。能登大橋、のと里山海道、そして能登空港・・しかしそれが能登の経済に有権者が満足するほど効果を出していないのではないかと感じています。

北陸新幹線と上越新幹線

 2015年の北陸新幹線金沢開業以降五年が経ちましたが、金沢駅周辺はすっかり観光客向けの駅に様変わりしました。五年前の開業フィーバーは石川県に念願の新幹線が来たと言う事で新聞やテレビがお祭り騒ぎでしたね。昨日の駅周辺の駐車場もこのコロナ禍でも県外ナンバーの車がが目立ちました。

 この新幹線に関して以前読んだ県議の手記の中に興味深いものがありました。それは田中角栄元首相が選挙応援で石川県に来た際当時の中西陽一元知事に上越新幹線経由で新潟から新幹線を伸ばして石川県に繋げたらどうかと勧めらえたそうです。しかし中西元知事は最後まで同意しなかったそうです。当時の石川県は長野経由の北回り新幹線経由に躍起にやっていたプラス中西元知事の政治的な立場もあってこの話は立ち消えになったそうです。もしも新潟から新幹線を延線すれば早々と新幹線が出来て石川県の状況も今とは全く違った形になっていたのかもしれません。

 上越新幹線が開業したのは1982年で北陸新幹線の金沢開業が2015年で新潟県から33年も遅れて金沢に新幹線が来ました。今でも石川県から新潟県の鉄道のアクセスはあまりよくありません。それは北陸新幹線の停車駅の上越妙高から上越新幹線の長岡までの路線は在来線しかないためです。羽越新幹線計画の中に上越妙高から長岡までつなぐ計画があるようですが、コスト面、採算性の面から実現するのか不透明です。その為今金沢から新潟へ行くには上越妙高で乗り換えて在来線の特急で行くか、北陸新幹線と上越新幹線の接続駅である高崎まで行ってから乗り換える方法しかなくこのアクセスは地理的にあまり効率がいいとは思えません。

 一か月半前北陸新幹線建設促進石川県民会議が開かれていましたが、話の中心はいかに早く北陸新幹線を大阪につなげるかでした

金原元県議の手記の話なら中西元知事が角栄さんの上越新幹線の延線の話を断ってからそれ以降石川県と新潟県の鉄道アクセスは分断されてしまったようで、日本海側が新幹線で繋がるのはまだまだ遠い未来のように感じられてしまいます。 

議会を覗かないと分からない

こちらは石川県議会の傍聴席の入り口です。今はコロナで自粛していますが、自分は暇があればなるべく県議会なり、市議会なり覗きに行くようにしてします。と言うのも新聞での議会に関する記事など突き出しというかほんの触りの部分しか載っていないのです。また県知事、市長、県議会議員、市議会議員の議会における態度やしぐさも議会に行かなればわかりません。もし見に行けなくても一般質問などは各議会のホームページから動画をみることが出来ると思います。このブログでも議会を覗きに行ったときの感想を書こうと思います。