裸の王様が支配する石川

今日からまたブログを再開したいと思います。前回のブログからもう三が月くらい経ってしまいました・・wその間にも石川県にまつわる話題がいくつかありました。直近では石川県出身の森元総理の女性蔑視発言によるオリンピック組織委員長辞任騒動がありましたね。まああの辞任このコロナ禍で全国民がオリンピックの開催に懐疑的になっている状況でマスコミもややセンシティブになっている面も多々ありましたが、個人的にはオリンピックという大会の性質上、致し方なかったというのが正直な感想です。

地元では的外れな擁護論が横行している

それよりも気になったのはこの発言に対して石川県内でやはり地元出身の国会議員の先生ということで擁護論も見えたのですが、その擁護論がオリンピックとは関係のないことを持ち出して擁護するものが見られました。フェイスブックなどで見られた擁護論とは・・

「森先生は地元でインフラ整備や地域経済に大きく貢献した。そんな人を苛めていいのか」

「森先生のお陰で企業誘致が進み、雇用が生まれて町が発展した。その功績があるのにそんな人を叩くのはおかしい」

とこんな感じの論調に多数のいいねがついていました。そもそもこの発言のジェンダーに関する考え方の問題について擁護どころか話題にすらなっていないのです。マスコミが発言の言葉を摘まんだから蔑視発言になったという意見もありますが、個人には主語が「女性は」とか「女性が」という主語そのものが決めつけであり、性別や人種、民族や宗教の壁を超えて世界規模で行うオリンピックには相応しくない言葉だったのだろうと思っています。あとこの批判に対してのこの擁護が全国の人間、はたまた全世界の人間に通用するかと言えば通用しないでしょう。地元に国からの税金、補助金を落として地域経済が潤ったのは事実ですが、県外の人にはそんなことは関係ないでしょうし、世界的な発言から見ても何の価値もない擁護になっているのです。

それでもフェイスブックで何十人ものいいねがつくのはいいねをつけた人の雇用や収入、社会的立場の確立に関して森先生のお陰があるからなのです。例えば地元企業で働く人の場合その雇用主となる経営者は石川県の場合大抵の場合自民党支持者であり、国会議員とは利害関係があるのです。ですからその下で働く人間たちは雇用や収入のイニシアティブをその人間たちに握られており、面と向かって批判出来ないのです。その為いつも上の顔色ばかり伺うようなサラリーマンが石川県で多数派を占めており、それが選挙の時に組織票の元になるのです。

王様が裸でもその王様が地域全体の雇用や経済のイニシアティブを握っていてその下でしか地元で働けない場合、批判できない風潮が生まれます。谷本知事もこのコロナ禍での対応で評価が最下位になったりしましたが、もう27年も知事をしており、完全に県の中央病院や赤十字の石川県支部長である関係から県内の医療従事者への雇用や人事に絶大なる権力を持っているため医療従事者も面と向かって批判出来ないのです。コロナ前の石川県はこれでも経済が周り、社会が潤ってきましたが、この風潮というか県民性に行き詰まりのようなものを感じてしまう自分がいてこの地域に息苦しさを感じています。もう少し地位のある人間に対して石川県内で自由に顔色を伺う事なく自由に話して行動できるようにしたいものです。

石川県の神様

このコロナ禍で来年の石川県の神社の初詣もいろいろと規制が出来ました。石川県を代表する神社に白山市の白山比咩神社、羽咋市の気多大社があります。で来年の初詣は白山比咩神社は露店はなし、おみくじをかける所も設置しない、気多大社は境内ではなく入らずの森という場所で参拝を受け付けるそうです。新型コロナウイルスの終息を神にもすがる思いですが、神様にお願いするのにも感染拡大防止をしなきゃいけないのは何とも言えない気持ちです。

今竹田恒泰さんの天皇の国史を読んでいるのですが、その中に日本の神様とキリスト教の神様との違いが書かれていました。それによるとキリスト教の神は全知全能なのに対して古事記の神々は時に過ちを犯すこともあり、人間的であるそうです。確かに古事記に出てくる神様には男の神様、女の神様、須佐之男命のように荒々しい性格の神様もいれば繊細な心を持った天照大御神もいます。またキリスト教の世界観では神→人→自然の序列になるのですが、他方神道的世界観は自然→神→人の序列になるそうです。と言うことは日本人にとって自然は最初の信仰の対象であり、その信仰の形によって日本人の自然に対する畏敬の心が他の国に住む人よりも強いのではないかと感じました。石川県の自然で言えば白山比咩神社は白山を中心とした山への信仰、気多大社は能登の海と山の信仰の中心だと言えるかもしれません。

住民に理解されるホテルにならなければならない。

新型コロナウイルスの感染拡大が日々深刻な状況になっています。石川県でも一日一日少しずつ感染者が一人、二人と増え宿泊業や飲食業に関わっている人達は感染拡大防止に緊張感を持って業務にあたっているかと思います。

今日現在のヤフーの石川県の感染状況です。四月辺りはかほく市の病院、夏辺りは小松市のカラオケスナックでのカラオケ大会でクラスターが発生しました。10月以降はGOTOトラベルも始まりましたが、大きなクラスターも発生しておらず、何とか感染者数は上がったり下がったりしていますが12月に入って徐々に感染者数が増えておりここ三週間くらいで四月と八月のような急激な感染拡大を何としても止めないといけない状況です。

石川県内のホテルや観光施設はGOTOトラベルで何とか経済活動の足掛かりを得たところもあるかと思います。これからホテルが住民に求められるのはなんとしてもクラスターを石川県のホテルや観光施設から出さないようにせねばなりません。石川県のホテルの現場は緊張感を持って業務にあたり、一人でも多くの市民の理解を獲得する努力を続けなければ地元の産業としてこのコロナ禍を乗り切ることが出来ないと感じています。現実は厳しい道のりですが、ここを乗り越えれば石川県のホテル、観光業は強くなれると思います。

12月に入りました。

12月に入りました。寒さも一段と厳しくなり、体調管理に気をつけなければならないですね。例年ならクリスマスやらお正月の準備やら忘年会やらでこの石川県も賑やかなんですが、このコロナ禍で勝手が違う年末になりそうです。特に忘年会に関しては感染拡大防止の為国のガイドラインをきちんと守ったら正直な話忘年会を楽しめませんものね。会話を少なめにして食事をしても社員の親睦が目的の忘年会ですからこれが出来ないのなら意味がないですからね。

お正月の準備ですが、今年は年賀状を書く人とおせちを利用する人が多いそうです。年賀状はコロナ禍で遠出が出来ないので会いたい友人、知人、親せきに年賀状を出す機会が増えているそうです。おせちは外出自粛の為外食が出来ない代わりに自宅で美味しいものを食べようとおせちを頼む人が例年にも増して増えているようです。個人的には今年のお正月はテレビを見ながら静かに地元のお菓子でも食べようと思います。


金沢城の経済効果は?

昨日の地元紙の一面に金沢城二の丸御殿の基礎が文化年間の再建時以来210年ぶりに発掘されたとの記事が載っていました。石川県は資料を集めて金沢城の中枢だった二の丸御殿の復元を目指しているようです。金沢城公園は元々城内にあった金沢大学が角間に移転した後県の主導によって復元事業が行われて、菱櫓(ひしやぐら)・五十間長屋(ごじっけんながや)・橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)が2001年に復元されました。県外から金沢城公園を訪れた人にはどの部分が昔からあってどの部分が復元されたものなのか分かりにくいと思います。現在の金沢城は元々あった歴史的な建造物と復元された建造物が混じっている状態です。今年は約二十億円かけて復元工事が行われた鼠多門・鼠多門橋が完成し尾山神社の後ろから金沢城公園に抜けることが出来るようになりました。

現在復元されたばかりの鼠多門、鼠多門橋には兼六園から多くの観光客が見物に来ていますが、この勢いがどれだけ続くのか気になる所です。県が復元を計画している二の丸御殿の復元には100億円規模の莫大な県の予算が必要になる可能性があります。県には金沢城の復元に関しての地元経済への経済効果と莫大な予算(税金)を使う事への県民への理解を求める必要性があると思い、その理解が足りないと金沢城公園は県民、市民にとって愛着のある場所になるのは難しいような気がします。個人的には二の丸御殿の復元には反対していません。しかし県民に馴染みのある建造物にならないと観光客にも紹介出来ないし、金沢城公園の経済効果も望めないと思います。

アフターコロナのホテルとは?

コロナ禍で今までしていたサービスの形が変わりました。この変化はコロナが終息した後も続くのではないかと思っています。ここでは自分が思うこれからのホテルのサービスの在り方を考えてみました。コロナ前とコロナ後の変化とは一言で言えばサービスの細分化だと思います。

大人数を収容するホテルは減り、目的別の専用ホテルが増える

これからのホテルは現在のシティホテルの形式は減り、観光、ビジネス、研修とそれ専門のホテルが増えるのではないかと思います。今大きなホテルの主流は観光、ビジネスと一緒にしてホテルで宿泊客を受け入れているスタイルですが、アフターコロナのホテルとはビジネスならビジネス専用、観光なら観光専用とそれ専門のホテルが増えるのではないかと思います。またビジネスでも一泊、二泊の短期の宿泊かそれか企業の研修目的の五泊、六泊の宿泊か、工場や新幹線の建設工事など二週間以上の長期の宿泊か、また観光ならカップルなのか家族連れなのか、それとも一人旅なのかと目的別でのフロアー、部屋の構成をしたホテルが増えると予想しています。これから建設される新しいホテルは宿泊客の目的別に主眼を置いたホテルが増えていき、それも部屋数を減らして空間に余裕のあるホテル空間になると思います。今既存のホテルも改装なりで何階はビジネス客、何階はビジネス客の長期宿泊、何階は観光客とホテル内ですみ分けが進むと予感しています。また進めばホテル内で目的別で宿泊者の朝食などの食事場所も出来ていくのではないかと思います。

宴会は立食形式が減り、コミュニケーションと食事のすみ分けが進む

これからの宴会のスタイルは現在三密を避ける為行われていない元卓形式の立食パーティは減り、会話と食事のすみ分けが進むと思います。同窓会なども食事会主体なのかそれとも会話やコミュニケーション主体なのかホテル側が利用者側に選択する機会も増えてくるのではないかと思います。例えば会話主体の同窓会ならドリンクとおつまみ程度の軽食の用意でOKですし、食事主体なら少人数で着席して料理を楽しむと目的別の宴会のスタイルがハッキリしてくると思います。今会議などで食事をお弁当の持ち帰りのスタイルが増えていますが、アフターコロナでもこの形式は残る可能性があります。


宿泊、宴会とも目的別に環境とサービスと整える必要性が増す。

これからのホテルはアフターコロナは現在よりもより細かいサービスの細分化とそれに対応した環境の整備がどれだけ出来るかがホテル間の顧客獲得競争に大きな影響を与えるのではないかと予想しています。どちらにせよアフターコロナのホテルはより利用者側により細かな対応が出来るホテルが勝ち残っていくのではないかと感じています。

石川県のコロナの状況とGOTOトラベル

GOTOトラベルで連日多くの方が金沢はじめ石川県へ来られています。これ幸いに27日県内の感染者数は抑えられているようです。まあ谷本知事が調子に乗ってまた軽口を叩かないか心配ですが・・w今後感染者数がどのようになるかわかりませんがとりあえずは何とかキャンペーンが始まってから感染者数は抑えらえているような気がします。これからは石川県は感染者数を抑えつつ観光を動かすモデルを全国に先駆けて構築するくらいの意識を持っていかないとこれから石川県の観光に活路を見出すことは出来ないと感じています。

石川県や金沢市のGOTOトラベルに対する対応は国の指示待ちのようで主体性がないような批判が出ていますが、何ともこれは今までの県なり金沢市の体質なり、国と県と金沢市の力関係もでしょうし、コロナと経済両立で自治体独自で対応できるだけのシステムも財政規模も元々ないからではないかと思っています。東京都知事や大阪府知事、北海道知事が独自の意見を出して逞しく見えてしますものですが、東京や大阪などの大都市と石川県の財政規模を比べるとそれは桁が一つ違うほどの差があります。しかも石川県の財政の半分は国からの補助金や県債などので構成させているので何か思い切った政策を打ち出そうと思っても常にお金と相談が必要です。金沢市に至っては地元産業の中核がずっと観光、サービス業だった為その体制をいきなり変えることは実質不可能であり、しかも財政的に補助も限界があります。自分も県なり、市がいつもいつも国が国がと言っていて何も考えていないような印象をを持ちましたが、考えてみると独自の政策なりを打ち出そうと思ってもそのシステムもお金もないのが現状です。県や市は国の指示待ちばかりではなくコロナに対して独自に県民、市民を引っ張っていくような政策を打ち出す知恵を絞ってほしいと思っているのですが、現実はかなり厳しい状況です。


金沢市は何十年にも渡ってまちづくりなりの基盤を観光中心に考えてきましたが、ここはコロナと観光の両立を県民、市民で一生懸命に作り上げていくしかこの産業に未来や活路は見出すことは出来ないのと同時にこの産業以外で生活する金沢市民の観光に対する理解も広がらないと思います。今石川県、金沢市に求められるのはコロナと経済の両立に対する県民、市民の理解で県民一丸となってのコンセンサスの形成だと思うのです。

ズワイガニより香箱ガニ

先日やっとカニを食べました。香箱ガニです。ズワイガニは予算の都合上食べるのが先になりそうです・・wこの香箱ガニ値段的にもズワイガニよりも安く手に入りやすいので石川の食卓にもよく上ります。因みに金沢おでんのカニ面はこの蟹を使うことが多いです。今シーズンは何回食べられるのか分かりませんが、しっかり家で日本酒と味わいたいと思います。あともうすぐ鰤が美味しい季節になります。北陸の味覚はこれから本番です。石川県に住んでいる人ならお店で買って自分で捌いて食べた方がカニでも鰤でもリーズナブルですね。石川に移り住んだのなら料理の腕を上げるのに石川の食材は最適だと思います。

ホテル、飲食店に働く人たちは将来を考えなければならない・・

新型コロナウイルスの新規感染者数が深刻な状況です。GOTOトラベルも大都市はストップするとかしないとかで混乱しています。宿泊業に関わる人間から言わせてもらえれば東京、大阪、札幌など大都市への旅行をストップしても、それと同時に大都市から地方への旅行もストップしないと感染拡大防止にはつながらないと思います。現在のこのキャンペーンですが今のシステムではコロナが終息しない限り国はこのキャンペーンを続けなければならないシステムになっています。ホテル、飲食店の従業員が今一番恐れているのは感染拡大でこのキャンペーンがストップすることと同じくらい国がコロナが終息していないのにキャンペーンをやめることです。正直今現場で働くホテルマン、飲食店の従業員は将来を見通すことが出来ません。これからこれらの業界は倒産、リストラ、そして離職が激増すると思います。それはコロナが終息した後ももう若いスタッフはこのコロナ禍でこの業種に嫌気が指して離職していくのではないかと予想してしまいます。

Twitterでホテルで働く人のこのキャンペーンに対しての不満をよく見ますがいつも思うのはホテルを辞めたあと就職出来るだけの資格なり、スキルを不満を言ってばかりの人にあるのかと思います。今この業界を離れて違う業界に行こうと思っている人は将来を考えると同時に自分の能力やスキルをより厳しく見なければなりません。特に若いスタッフではなく、歳を重ねた管理職ほどそれを厳しくみないと離職して転職して再就職は難しいと思います。個人的にはこのGOTOトラベルに将来性はないかと思います。しかしそれに文句を言って愚痴を言って働く前にこの業界以外で自分は働くことが出来るのか自分自身を見つめなおすべきじゃないかと思います。このGOTOトラベルの付け焼刃みたいな政策の裏にあるのは国や観光庁のホテルに対しての上から目線があるのではないかと思います。しかしこのことに愚痴をはいても自分自身の将来に光が差すわけでもないし、コロナが終息するわけでもありません。今全国のホテル、飲食店に関わっている人間は自分の能力やスキルを見極めて将来を考えなければならないと痛烈に感じています。そうしなけばこの業界から離れて転職も出来ないし、将来も開けてこないのではないかと思います。

自分へのご褒美という言葉は嫌い

GOTOトラベル、GOTOイートで多くの人が旅行やグルメを楽しんでいる記事をよく見にするようになりましたが、その中でよく見かける言葉に

「自分へのご褒美」

という言葉があります。うーん実はこの言葉個人的にはあまり好きではありません・・むしろ嫌いかもしれません。というのは言葉の使い方が間違っているんじゃないかと思うんですね。そもそも「ご褒美」とは

1 ほめて与える金品。褒賞。「褒美をとらせる」

2 ほめること。褒賞。

です。と言うことは自分へのご褒美は「自分で自分を褒める」ということになります。

これってどうなんでしょう??この言葉を聞いて今年亡くなられた野村克也さんの言葉を思い出しました。

人間は自己愛で生きている。誰しも自分がいちばんかわいい。だから自分に対する評価はどうしても甘くなる。

またこうも言っています。

その人間の価値や存在感は、他人が決めるのである。人間は人の評価で生きている。自分の評価より、他人が下した評価の方が正しいのである

つまり自分で自分を評価するってことは出来ない、価値がないってことだと思うのです。そして褒めることもできない、褒める価値もないってことなんですよね。それに対してのご褒美なども無意味で、真の意味のご褒美は他人の評価から頂いたもので自分で与えるものはご褒美とは言わないと思います。自分で自分を褒めることは出来ないので、それをするなら自分を客観視することが出来ていないか足りないんじゃないかと感じます。

アトランタオリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した有森裕子さんが

初めて自分で自分を褒めたい

と言いました。有森さんクラスでもはじめてというくらい自分で自分を褒めることはないということなのです。自分が下した評価に意味はなくそれに対しての褒美なども無意味だと感じますし、もっと自分を客観視できる人間になりたいものです。