コロナ禍の石川県知事の発言の裏にあるもの

昨日全国知事会が開かれたようですが、このコロナ禍における石川県の谷本知事の発言はいつのことながら国がどうたらでした。このいつもながらの国が発言批判もありますが、その発言には石川県の歴史と体質が色濃く出ている発言だと感じてしまいます。

石川県と国との関係を戦国時代から振り返ってみると、加賀藩を興した前田家は豊臣秀吉と徳川家康につき、120万石という大領を得ることになります。しかし外様大名ということで江戸徳川幕府から常に警戒され、監視の目にさらされることになります。その為前田家の歴代の領主はわざとバカな領主のふりをしたり、幕府に蓄財していると思われたくない為文化や芸術に多額のお金を使ったりして百万石を維持してきたのです。まあその文化や芸術が現在の金沢の文化や工芸の基盤になったわけですが、背景には常に幕府への警戒があったのです。

時は流れて幕末になったのですが、前田家は幕府側についていたのですが、幕府側の形勢が不利になると今度は調子よく新政府、長州側につき、日和見主義で新政府樹立後新政府から冷遇されてしまいます。しかも旧加賀藩の士族が紀尾井坂の変で大久保利通を暗殺してしまい、ますます石川は新政府から睨まれ、冷遇されてしまいます。

その後そのような中央の政府に冷遇されるような状況が続きましたが、石川県にとって幸運は戦災に遭わなかったことで石川県は焦土にならず、社会資本をそのまま使うことができ、古くからの建物がそのまま残り、それが今の金沢の観光の基盤になっているのです。

と石川県の歴史をちょっと振り返ってみましたが、戦国時代から石川県はその土地を守る為常に幕府なり、新政府なりの目を気にするような体質が出来上がったように思います。その為戦後、国と石川県を結ぶ国会議員の役割が重要になり、いかに石川県を政府から注目されるかに力を注ぐことになります。また常に幕府なり、新政府の目を気にする体質が上には従順のなるべきと言う封建的な考えが石川県民に根付くようになるのです。戦火を逃れたことがよかったですが、被害に遭わなかった為、戦争に対しての被害者意識がなかったことにより、政府の戦争責任を考える必要が希薄でその権力構造に疑問を持つことなく、建物と同じく戦国時代から続く封建的な考えも戦後そのまま残ったのです。

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戦後高度経済成長で石川県選出の国会議員はいかに国の予算なりを持ってきて地元のインフラを整備するのに躍起になります。しかも新潟出身の田中角栄首相が地元に上越新幹線を持ってきたことにより、石川県も新潟県のようになりたいと思い、「おらが村から総理大臣を」の掛け声の元、地元の国会議員を何度も当選させてとにかく長くやらせて自民党なり、政府で出世させ、地元により多くの国の予算や補助金を持ってこさせようとします。その結果誕生したのが森政権、そして北陸新幹線でした。

で最初の話に戻ると谷本知事のこのコロナ対策で国が、国がとことあるごとにいうのは石川県は常に国のご機嫌なりを伺い、予算を獲得してその立場を維持してきた背景があります。その為石川県はじめ県内の自治体は国からもらえるものはなんでももらってしまおうみたいな考え方があります。知事の国がどうこう発言は石川県の歴史と体質に裏付けれた発言なのです。知事自体も自分が国と石川県をつなぐ役割だけで27年もしてきた体質があるのでこのコロナ禍で国もどの対策がベストか分からない為結局福井や和歌山、最近の島根県のように独自の対応そのものを生み出すことが経験上できないのだろうと思うのです。今の石川県は過去の歴史に例えると幕末だろうと思い、自分の考えを持たずどこについていいのか分からずただ国の流れに沿ってコロナ禍を乗り切ろうとしていると言った感じでしょうか?

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