石川県の神様

このコロナ禍で来年の石川県の神社の初詣もいろいろと規制が出来ました。石川県を代表する神社に白山市の白山比咩神社、羽咋市の気多大社があります。で来年の初詣は白山比咩神社は露店はなし、おみくじをかける所も設置しない、気多大社は境内ではなく入らずの森という場所で参拝を受け付けるそうです。新型コロナウイルスの終息を神にもすがる思いですが、神様にお願いするのにも感染拡大防止をしなきゃいけないのは何とも言えない気持ちです。

今竹田恒泰さんの天皇の国史を読んでいるのですが、その中に日本の神様とキリスト教の神様との違いが書かれていました。それによるとキリスト教の神は全知全能なのに対して古事記の神々は時に過ちを犯すこともあり、人間的であるそうです。確かに古事記に出てくる神様には男の神様、女の神様、須佐之男命のように荒々しい性格の神様もいれば繊細な心を持った天照大御神もいます。またキリスト教の世界観では神→人→自然の序列になるのですが、他方神道的世界観は自然→神→人の序列になるそうです。と言うことは日本人にとって自然は最初の信仰の対象であり、その信仰の形によって日本人の自然に対する畏敬の心が他の国に住む人よりも強いのではないかと感じました。石川県の自然で言えば白山比咩神社は白山を中心とした山への信仰、気多大社は能登の海と山の信仰の中心だと言えるかもしれません。

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