百姓の持ちたる国石川

二日前の記事で石川県が保守的な理由を歴史的な面で書きましたがもうちょっと詳しく書くと石川県の場合民衆を支配してきたのは武士→僧侶→武士の歴史があります。先日白山市方面にドライブに行ったとき一向一揆の拠点となった鳥越城に行きましたが、この勢力は織田信長に滅ぼされるまで勢力を維持していたのです。観光で石川県に来られた方で知らない方もいるかもしれませんが、金沢城は元々尾山御坊と言って加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院でした。その場所を信長が攻め落として初代城主に佐久間盛政を置いた後その盛政が豊臣秀吉に賤ヶ岳の戦いで討たれ、その秀吉から城を与えられたのが前田利家でした。その一向一揆の精神的支柱だったのが浄土真宗八世宗主の蓮如でした。蓮如は講というものを通じて門徒の団結を促進し、それが武士を脅かすまでになります。その力を無視出来なくなった当時の石川県の当時の守護の富樫氏が内輪で内紛を起こしてその力を利用して勢力を維持しようとしたのですが、逆に滅ぼされる原因になったのです。信長に滅ぼされるまでこの百年ほどの一向一揆の勢力が治めた時代は唯一石川県の民衆が自分たちで政治を動かしていたような気がしています。後の金沢城になった尾山御坊を建てたのは蓮如ですし、金沢城が今の場所に建てるのを決めたのは蓮如ということになります。このため石川県のお寺のほとんどは浄土真宗であり、蓮如は親鸞と同じくらい信仰が厚いのです。宗教が政治的な力を持ち、自分たちで自治を行った石川県民は古くから信心深いのかもしれません。それが今の石川県民の県民性や地域性にも影響があるのではないかと思います。

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