保守的な石川県の歴史

先日こちらの本を読みました。

この地域批評シリーズは地域を客観的に見るシリーズらしいですが、石川県もかなり客観的に書かれているイメージです。この手の書き方で石川県を書いた本ってちょっと珍しいかもしれません。と言うのも地元新聞社の出す本はどうしても主観的な見方になりがちで自分の住んでいる県を客観的に見ることが欠けてしまうような感覚があります。この本を読もうと思ったのは石川県民は何故保守的な考え方になった歴史的な背景は何かを考える資料にしようと思ったからなんですね。個人的に石川県民が保守的になった要因は加賀前田家は外様大名として最大の規模を保つため徳川幕府の顔色ばかり伺っていたこと。明治維新は幕府側なのか新政府側なのか分からない日和見主義のような対応をとってしまい明治政府から冷遇されてしまったこと。戦災に遭わなかったことなどがあると思います。まあ前田家そのものが秀吉、家康とうまい具合に仲をとりもって大領を得たからなんですね。五代藩主の前田綱紀は江戸幕府に警戒されない為に文化や芸術に多額のお金を使い藩の財政が窮乏してしまったようです。それでも百万石のプライドからかお金を節約することが出来ないまま幕末に突入してしまい石川県はかなり辛い目にあったようですね。この前田家の状況常に国の政策ばかり気にする石川県に似ているような気もしますし、ずっと官僚を県知事に据える行政の体質に通じるものがあるのかもしれません。常に上の立場に媚びて財を成すような封建的な体質は江戸時代からなのかもしれません。コロナ禍の中、これからもこの体質で石川県が豊かになるのかならないかはいささか疑問ですが・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です